アロハシャツの歴史
アロハシャツの誕生
1868年(明治元年)最初のハワイへの移民、153名の日本人を乗せた英国帆船が横浜港を出発しました。
ほとんどの人がサトウキビ畑で働いたそうです。
当時、畑仕事で着ていた作業着「パカラ」は青いチェックの開襟シャツ(もともとヨーロッパの船員たち着ていた)で、広く日系移民に浸透しました。
この「パカラ」こそアロハシャツの原型となったという説が有力とされています。
日系移民たちは日本から着物や浴衣を持ち込んみましたが、大変貧しかったことから、擦り切れて使えなくなると子供用のパカラ風シャツに作り直して着せていたとそうです。
これが徐々に地元の人々にも浸透し、市販の生地でシャツを作るようになったとされています。
1900年台に入ると、仕立て屋・呉服屋も増えて、米国本土からの観光客がハワイ土産として本土に持ち帰るようになりました。
こうしてアロハシャツのが広まっていきました。
ムサシヤ・ショーテン
1904年、反物をオーダーメイドでシャツに仕立てる店として、宮本長太郎によりホノルルに「ムサシヤ」設立されました。和柄のオーダーメイドシャツ店の中でも有名店だったそうです。
1915年、長太郎が他界すると長男の孝一郎が後を継ぎ、店名を「ムサシヤ・ショーテン」としました。
1920年頃から毎週新聞に広告を出すようになります。
その内容は下駄を履いたに日本人が笑っているイラストと日本語なまりの英語を使ったインパクト抜群のものでした。この時店名も「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」の通称を使うようになります。
店は瞬く間に有名になり、米国本土はもとより、遠く海外からも注文が入ったそうです。
しかし世界恐慌の影響もあり、1934年、商社の藤井順一商店に店を売却することに。孝一郎はホノルルの別の場所で新たに「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」を設立しました。
この時店を買い取った藤井順一商店は「ムサシヤ・ショーテン・リミテッド」と店名を変えて同じ場所で営業を継続します。
この藤井順一商店により1935年ホノルル・アドバタイザー紙に初めて「アロハシャツ」という呼び方で広告に登場することとなりました。
このように「ムサシヤ・ショーテン」は当時のアロハシャツ文化の代表的ブランドであり、歴史的にも非常に価値の高いメーカーであったと言えます。
今でもその人気は衰えを知らず、ヴィンテージ市場では高値で取引されているようです。
絶対数が少ないでしょうからね。
なおムサシヤの「ムサシ」は長太郎の出身地から来た説、苗字が宮本だから説、等諸説ありますが、今となってははっきりしないようです。
アロハシャツorハワイアンシャツ